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千本桜1巻 3/26
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会えるということ [かなめも・小ネタ集]

たまにはかなめもネタ。これまでもぽつぽつとネタにしてきたけれども。

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かなの中に終始ある考えとして、これがある。会いたいときに会えるだけ会う。至極普通なことだとは思うのだが、かなはこの考えを単行本6巻の間、ずっと突き通している。

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例えば4巻の代理授業参観の話。父親がせっかく来てくれそうなのに代理は何も父親には「おねだり」をしない。当然代理側にも所長側にも事情があるのは、6巻を通して読めば分かるのだが、かなにとっては「なんで代理は父親と会える機会をなくしているのだろう」と思えている。

しかし一方、会えなくなることをそこまで苦痛とはしていない。かな自身、高校生になったら専売所を追い出されることを前提で将来のことを考えていたし、美華と違う配達先になったと勘違いした時にも、若干のもやもやはあったものの、それを受け入れている。言ってみれば1番の「お友達」である美華でさえ、別れることにはそこまで抵抗感を覚えていない。


こうしたかなの根底にある事件はやはり「おばあちゃんが突発的に亡くなった事」がある。おばあちゃんが例えば大往生だったり入院していたり、ではなく、突発的に亡くなったのは、1巻のこの表現でわかる。

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あの日に「ちゃんと」帰ってこなかったのはおばあちゃん。つまり交通事故や突然の病死である可能性が高い。つまり、かなはおばあちゃんに対してちゃんとした「お別れ」が出来ておらず、この辺りが多分「ちゃんと会える時に会えるだけ会う」という6巻の美華への発言に繋がっていると思われる。


この「会う・別れる」というのは、かなばかりではなく、かなめも全体のテーマの一つになっている。6巻でひなた弟が来た時のテーマも「家族はいつか別れるもの」というものだし、きれいなはるかが初登場したのも、幼なじみのしーちゃんと合っている時。


石見せんせー自身、同人誌では「初対面」というシチュエーションで結構描いていたりするので、そういう話がきっと好きなんだろう。

#最新作のしょーがくせいのあたまのなかには、まだそういう「深い」部分は出てきていない。みゆ達3人に背負わせるにはちょっと重いテーマだしねえ。

##代理はむちゃくちゃ重かったけど。
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